タイトル通り、facebookのアカウントをある時、断捨離の対象にしました。
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最初に思い出から語る。
私は1980年生まれ、自分が青春&思春期真っ只中の頃には、SNSって無かった様に思います。
あったのかもしれないけど、していなかった。周りもしていなかった。たぶん。
だから、まず、自分が生まれた時代に感謝。
深い記憶をたどってみれば、どんなツールがあったのか。SNSって意識していなかったけれど、やってたことなにかあったかな?
高校生のとき、ポケベル。
高校2年生くらいの時だと思う。はじめてポケベルっていうものを持ちました。
数字だけでメッセージを送るのではなくて、電話機の操作で、ちゃんと文字(カタカナ)が送信できる!
NTTのポケベル派と、東京テレメッセージ派(略してテレメ)がいて、当時記憶では、NTTは、200通以上の受信が有料なのに対して、テレメは、何通受信しても一定料金。多分、月額料金が1980円くらいだったとおもう。そして、機種代は、1万円くらいだったかな?
両親に頼んで頼んで、近所のノジマ電機に買いにいった記憶がある。月々の支払いも両親がしてくれました。
画像を探したら、見つけた!私が使っていたポケベルはまさにこれ!
東京テレメッセージのホームページ、すごい。はるか昔の機種情報が、すぐに出てきたよw
公衆電話、並んだよね。
この時でさえ、出身中学の職員室前の公衆電話に休み時間、長蛇の列ができるってきいて、「最近の中学生は・・・」なんて話していた女子高生時代、お前も似たようなもんだろー!と昔の自分に突っ込みたい。
当時のメッセージの送りかたは、まず普通の固定電話など、受話器をあげて、※2※2(こめにこめに)を押す、そして、もし「おはよう♡」と送りたかったら、「1561851389」と押すの。最後には「♯♯」で終わるんだったかな。暗号みたいだけど、ポケベル表とか見なくても早い速度で暗記して打てるのが、ポケベル世代です。もう今となっては覚えてませんけど。
『89』っておすと、♡マークを送れるんだけど、♡マークがうまく表示される機種もあれば、されない機種もあって、みんな♡マークを送りたいが為に、♡マーク送れる機種を選ぶという、なんでもうそんなにも♡に固執するのか。NTTとの互換性も無かったりして、扱い方も違うんですよね。ポケベル使った期間って恐らく1年くらいなので、その時のピンポイントの記憶です。
さらに余談ですが!
その当時、広末涼子のポケベルのCMが超可愛かった!あの子は誰?って話題になって、あれから、世間で大ブレイク。私、広末涼子と実は同い年。高校3年生、受験生の時に、広末涼子が早稲田大学に合格ときいて、ジェラシーを感じた記憶あり。そんな広末涼子の、最近のドラマ「ナオミとカナコ」の演技が大好き。今はファンです。映画では、小林薫と共演の『秘密』が好き。
高校卒業間際、携帯電話デビュー
ポケベルを周りの皆が使っている中、ちょうどPHSも使っている人が多かった。DDIポケットとか、ASTELとか。未成年が急にふらっとお店に買いにいって契約ができた時代かと思います。通話料も携帯に比べて安く、通話品質も、携帯より良かったはず。ただ、エリアは狭い。
私はPHSに移る事がないまま、高校卒業のころ、藤原紀香がCMをしていた『J-Phone』(ソフトバンクの前身のボーダフォンのさらに前身の会社名です。)をこれまた親に買ってもらいました。
スカイメールを使えば、公衆電話に行かなくても、メールが送りあえるんです。
これで、卒業して離ればなれになる皆と、卒業式の日、電話番号の交換をした記憶があります。
はじめて買った機種はメーカーがkenwood(ケンウッド)、ケンウッドって、オーディオメーカーでは?昔は、色んなメーカーから出てましたよね。
これまた、大学内でもi-mode派とJ-Phone派に大きく分かれました。織田裕二がCMだったIDO通信(イドー通信)の携帯ユーザーは硬派なイメージでした。IDOは後にauとなります。
それから、自身が大学生の頃、当時では高時給の1250円でDDIポケット(PHS)の販売バイトもはじめた事から、しばらくPHSをメインに使ってました。
しかし、やっぱりメールが主な連絡手段で、SNSとは違いました。
大学を卒業してから、はじめたのが、mixi(ミクシィ)
SNSはじめて物語はmixiかも。
この頃から、ちょっと違和感がありました。でも日記書いていました。
友達登録をしている人しかその日記は読む事ができませんでした。
どんな違和感があったかというと、
自分の仲がいいお友達と日記にコメントつけたり、つけられたり、足跡つけたり、返事をしたり、そんなやり取りの間に、お友達のお友達が、自分のお友達だったり、同級生だったりして。
そこまで親しくはなかったけど、会えば楽しく会話できるような間柄、でももう卒業しているわけだし、今後会う事も恐らくない。お友達申請する?しない?
相手からお友達申請されない、って事は、私の事はきっと眼中にないだろうから申請したら迷惑?
だけど、コメント欄で、お互いの存在なんとなくわかるよね?心苦しいな。
私の存在って何?
なあ〜んて、くだらない事を密かに思っていました。
更に、あえていまさら関わりたくないと思っていた昔の友人から友達申請されたりするのも、めんどくさいな〜と思っていました。(わがまま)
でもmixiでは、コミュニティの掲示板を見るのが好きでよく覗いていました。
今はすっかりログインもしなけりゃ、リアル友達も恐らくログインしていません。
この前、あまりにも使っていないし、退会しようかな〜、と久しぶりにmixiにログインした所、自分の書いた昔の日記が面白すぎて、消せませんでした。
面白いっていうのは、なんていうか、褒め言葉ではなく、違った意味で面白かったんです。新しく買った携帯のボタンの押し心地を、『ふわふわ!』とか表現してて、意味不明と過去の自分に思いました。どんな素材の携帯よ!?死ぬまでには、絶対に退会したいです。
mixiから遠ざかっているころに、周りの人が結構、Facebook(フェイスブック)をやっている事をなんとなく感じてました。そのときTwitterもやってましたけど、あんまりうまく使いこなせず、Twitterから2010年か2011年頃かな、Facebookに移行していった感じです。
自分が結婚して、仕事もずっとしていたし、子供もできて、行動範囲がかなり限定的でした。
大好きなお友達と時間と距離の関係でなかなか気軽に会えないんですよね。そこで、Facebookが大活躍で、お互いの近況を写真付きで、押し付けることなく共有できる、そんな楽しさがありました。
そして、本当に仲良しのお友達なら、会う事も実現できますが、会う約束をするほどのことは絶対に無いけど、職場などで仲良くなって、お話するのが楽しい、好きだなー!と思う人とも、職場から去っても、つながれる、コミュニケーションできる。そんなのもSNSこそですよね。本当に楽しいと思いました。
だけどFacebookをやめたくなった。
ここでもまた、変にコミュニケーション下手な性質が私にはありました。
最初の頃、この人に送って、この人に送らないのは変?と悩んで、たくさんの人に友達申請をしてしまったり。結果、Facebookの中ではお友達だけど、あえて絡む事はない人が大勢。
その後も、あまり付き合いのない人から友達申請をされて、しかも、友達申請してくるくせに、その人自体はなんの投稿もせず、ただ、他人の投稿を見るだけの人だったり。
『お友達かも?』って出てくる人をどこまでスルーしていいの?お友達だけど、そんなにお互いの私生活に興味あるの〜?と思ったり。
さらに、
ついつい癖で、スマホを手に持つと、Facebookを開いてしまう。この人にいいね!をつけたら、この人にもいいね!をつけないと、全部つけないと。今は時間ないから、とりあえず誰にもいいね!はつけないでおこう、、、
とか、
自分の投稿に、誰か反応してくれたり、コメントをもらうのがすっごく嬉しいくせに、コメント返しがメンドクサイと思ったり。頭の中では、もう返事してるんですけどね!
そして、Facebookをやめようと決心できたのは、長男が小学生にあがるころでした。
これから小学校に上がってまた、たくさんのママたちとの出会いがあって、連絡先を交換することもあるかもしれない、
顔見知りが、知り合いが、仲良く過ごした相手が、『友達かも?』と表示されてしまうのが、ツラいと思ったこと。
友達限定とはいえ、子供の顔写真をバンバン載せすぎていたこと。この写真が、流出されない保障なんてどこにもない。
だから、そんな悩むくらいなら、いっそやめてしまおう、と思いました。
Facebookをやめたいと思った本当の理由
上記理由も大きいですが、それよりも何よりも、
毎日、ワーママとして、同じ様なスケジュールで日々を繰り返していたころ(あ、今も)、
リアルなお友達のリア充っぷりを見て、落ち込んだこと。
うまく言えないんだけど、楽しく過ごす様子とか、子供の着ている服が高そうとか、仕事がキラキラしていてとても前向きな人とか、
決して誰も、Facebookで自慢しようなんてきっと思ってないんですが、いいことや楽しい事ばかりが書いてあるんです。
たまに愚痴が書いてあることもありますが、それが嬉しいってことでもないです。
お友達の充実している様子の投稿を見て、落ち込む時期があったんですね。そう思う自分は病んでいると思いました。
そして、我が家が休日に楽しく過ごしているときでも、『これはFacebookに投稿しないと』とか頭に思っていたり。
私はちゃんと楽しく幸せに過ごしてますよ、と伝えないといけない使命感がそこにはありました。
バカでしょ?
人は人。自分は自分。
上手に折り合いつけられないなら、すっぱりやめるべき。
仲よしのお友達の近況を知りたかったら、直接LINEでもすればいい。
会う約束をしたらいい。
そう思って、やめる決心をしたのです。
多分、3年くらいやっていたと思います。
一応、やめるときの工夫
やめる、って決めてから実際にアカウントを消すまで少し時間がかかりました。
なんとなく、急にアカウントを消すと、相手から、『ブロックされた?』とあらぬ疑いを持たれる気がして・・・。
なので、長男の卒園に合わせて、私もFacebookを卒業しようと思いました。
最後にたくさん写真を載せて、
小学校に上がる事をきっかけに、やめます〜!と明るく。
一応、できるだけたくさんの人に見てもらいたかったので、1週間以上は残したかな。
そして、入学式前には完全に消しました。今までの投稿を一切振り返る事もなく。
Facebookやめて、その後
やめて1年近く経ちますが、後悔は一切、ありません。
精神衛生上、やめることができてよかったと今でも思います。
今ころ○○ちゃんどうしてるかな、なんて思いを馳せるのもいいものです。
今はTwitterがふたたび面白いです。リアルなお友達はひとりもいませんが。(く、暗い)
ブログ集客としてのFacebook活用には少し興味があります。(キャパオーバーなので、しばらくはできそうにないですが。)
あ、あともうひとつ、スマホゲームも同時期に断捨離しました。
ぷよぷよってスマホゲームにはまって、2年くらい毎日かかさずログインしては、一生懸命ぷよを消してました。それも思い切ってやめて、更にすっきり。決して嫌いではなく、好きだからやめられなかったわけですが、今の自分にそのゲームを楽しむ時間が必要か?と思うと、もったいない時間だったんですよね。
やめる前は、やめたら後悔するかもと思いましたが、やめてしまえば、空いた心のスペースにまた別の楽しい事がやってきます。
物を捨てる事だけが断捨離ではないと思います。
自分のストレスの元になるものを断捨離して、楽しく毎日が過ごせたら素敵な事ではないですか?
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